文山チワン族ミャオ族自治州
地理的位置:
文山チワン族ミャオ族自治州は雲南省東南部に位置し、東は広西百色市と隣り合わせ、西は紅河ハニ族イー族自治州と接し、北は曲靖市と繋がり、南部3つの県はベトナムと隣り合わせています。東西最大距離は255キロ、南北最大距離190キロ、総面積は32239平方キロ、平地は19.7%を占めて、州政府は文山県にあり、首都昆明との距離は338キロあります。
全州地形は西北が高く、東南が低い、境内山脈が比較的に大きいのは六詔山と結露山、六詔山は全州を縦横し、紅河、珠江流域を跨ぐ。
歴史:
1980年代に西畴県仙人洞窟で今から約5万年前の古代人類歯化石を発掘したことから大昔から人類は文山で生息していたことが判明いたしました。西漢元鼎六年(紀元111年)文山は牂牁郡に属し、三国時代から東晋時期の間で牂牁郡支配から興古郡支配に変わり、唐の時代は通海都督府管轄になり、宋元から明代までは臨安路宣慰司に属し、清代から開化府を設置しました。
1958年4月1日文山チワン族ミャオ族自治州設立、全州は8つに県があり、総人口335万人余り、少数民族人口190万人余り、総人口の56.6%を占め、中でチワン族人口が29.8%を占め、ミャオ族人口12.6%を占めています。
交通:
天保港は雲南からベトナム、と東南アジア、南アジアへ繋がる重要な陸上道路で、文山州では、天保港と繋がる水路、陸路、航空の立体な交通ネットを建設中で、国道323号線、富寧港、文船、平鎖などの高速道路網が出来上がれば、文山州の物流に大きく貢献するものと思われます。
気候:
境内70%の地域は亜熱帯季節風気候に属し、30%の地域は温帯気候に属し、年間平均温度は15.8℃~19.3℃である。
特産品:
田七(三七)、邱北のトウカラシ、八角、西畴清香木水煙筒、八宝米
文山は農産物、鉱物、水力資源が豊富であり、中でも田七、八角の生産量は全国で一位になっています。“本草綱目”という漢方の薬本にはここの田七を“金不換”(金で換えられない)と呼び、全国でも有名な“田七の里”と知られています。
マンガン、アルミ、アンチモン、砒素、錫、亜鉛、タングステンなど8種類の鉱物資源が採れます。。
観光名所:
文山は昔から“小桂林"とも呼ばれており、観光名勝は5つ程あります。普者黒とバ美は文山の山と水の代表格で、普者黒には羅平の山、桂林の水、西湖の蓮、周庄の橋があると言われ、雲南の田園風景と融合して、すばらしい景観美を醸し出しています。また、ここはサニ人の伝説として、悲しくて美しい蓮の花のような仙女がハンカチを落とした所として有名なところです。青龍と白虎山、仙人、観音二つの洞窟はサニ人伝説の象徴として存在しています。
“桃源郷"のバ美は自然環境と社会人文もまさに陶淵明が“桃の花源記"で描いた内容の再現であり、村は山に囲まれ、真ん中の平地には、ねじ曲がった河があり、河の入り口と出口は約千メートルの洞窟があり、それが唯一村への出入り口でした。チワン族は宋の時代からここで居住し、現在でも農業で生計を建て、チワン族農耕社会に定着した男耕女織、鶏犬相聞、隣内和解の田園情趣が引き継がれています。
そのほかには、八宝山風景、富寧馱娘江、硯山浴仙湖、老山教育基地と異国風情などの観光名勝もあります。
少数民族、伝説:
チワン族は中国で人口の多い少数民族であり、主に広西省、雲南省、貴州省で生活しています。雲南省では文山チワン族ミャオ族自治州が主な居住地であります。チワン族は、儂、沙、土の三大支系に分類され、儂系は主に広南県、硯山県に居住し、沙系は主に広南県、富寧県、邱北県、硯山県に居住し、土系は文山県、馬閉県、邱北県に居住しています。系統により、言葉、服装、婚姻、葬式及びタブーな行為も違っています。チワン族土支系は古代越人からなり、越人は中国古代、絶大な力を持っていた一族で、滇越、于越、閩越、東越、揚越、山越、南越、駱越などがありました。
雲南地方のチワン族は百越の子孫、東漢から隋までは“濮、僚"と呼び、唐宋時期は“僚"と呼び、元明清以後は“儂人、沙人、仲家"と称し、1958年~1965年は“僮"と呼び、1965年10月12日以後、僮族をチワン族と統一して呼ぶことになりました。
チワン族の大地の伝説は、盤古が天と地を創る際、地は重いので下になり、天は軽いので高く浮き、四角には四つの柱で支え、柱は亀の甲に置き、亀が瞬きをすると災害が起きると言われていました。
昔、チワン族地域は物産豊富な所で、人々は酒を飲みながら世間話をしながら自然と共存した優雅な生活をしていました。
遠い昔、大干害があり、多くの人々が亡くなり、長老は村付近の森林を龍山にして農暦二月三日~六日で龍を祭祀すれば干災が終止するものと信じ、現在に至っても、その活動は重要な祭祀として引き継がれています。
水害の神話:昔、九日間の雨が降り続け、大地は洪水に覆われ、ここに住むすべての人々は溺れ死に、ただ瓢箪に乗った二人の兄弟だけが難を逃れました。その兄弟がチワン族の祖先と言われています。
昔、農産物の収穫ごろ、大雨が降り始め、人々は山の頂へ逃げたが、水害は翌年の三月まで続き、住む家、農産物の種など全て水に流されてしまいました。人々がとても困っているとき、一匹の犬がトウモロコシを噛んで、毛には稲とそばの種をつけて人々の傍に来たことで、何とか難を逃れることができました。それ以来、感謝の気持ちを込めて、毎年新米を食べるときまず犬に与える習慣が出来たそうです。
古代ある村で三兄弟がおりました。そのとき干災に遭って食べ物全部なくなり、お母さんは息子を竜王へ雨乞いに行かせました。一番目と二番目は竜王に殺され、三番目は龍を装って龍宮に入り、雨を降らせる旗を盗み出し、雨を降らせるときに三番目の息子は龍樹になってしまいました。その三兄弟を記念するために人々は龍木の下で祭祀する風習になったとの事です。